おはよーございます^^☀
今日は仕事がお休みです。遅めの夏休みです。
うーれしいな。
夏よりも、こんな涼しくなってきたころにお休みがもらえて、すっかり睡眠の秋を満喫させていただいています(笑)
後悔した目覚め(笑)
今朝は、母からの電話で目が覚めました。
昨夜も電話があって、出られなかったので、「まあ少し話してあげるか・・・」という気持ちで今朝は電話に出ました。
父の電話は用件だけで済むので、いつも短いです。長くても15分あればこと足ります。
でも母の電話は、毎回長いんです(笑)
「そろそろ切るよ」と言わなければ永遠にしゃべってそうなくらい、まーよく喋ります。
だから、父の電話はすぐに出てあげられています。
電車の待ち時間とか、本当にちょっと空いた時間にかけなおしたりしても用事が済むし気持ちよく切れるので、気も楽です。
でも母のほうは電話に出てしまうと長くなるし、用件は何なのかわかりにくいので、頭も使います。
「これが用件で電話してきたのかな?」と聞き耳を立てながら話しを聞いていないと、話題も多いし、話しが終わる前に話しがどんどん変わっていくので、なんで電話をしてきたのかわかりません(笑)
私もそうですが女性は話すのが好きですし、カフェやレストランへ行っても女性同士の会話は止まらず盛り上がっています。
ですから、話しがよく飛ぶとか、よく喋るというのは、女性あるあるでもありますよね。
でもそれを、日常の電話口でやられると、こちらも参ってしまいます。
こちらの作業は中断しなくてはいけないし、電話している間は、やりたいことをほぼ全てできなくなります。
しいて言うなら、スピーカーホンにして、スマホゲームをするとか、爪を切るとかの簡単なことはできます(笑)
電話は必ず出なくていい!
頭を使わないといけないし、長くなるかも・・・と思うと、母の電話に対してはよく居留守を使ってしまう私です。
「いま電車だから後でかけなおすね」とか「いま友達といるから落ち着いたらかけるね」とかを、着信が切れた後に、メールするようにしています。
うちの母は、電話に出ないことや、かけなおさないことへは意外と何も言ってきません。これについてはありがたいことです。
「忙しい」演出をして、電話に出ない人、と思ってもらいたい。
用件があるときにだけ電話しよう、と思ってもらいたい。
本音ですね~(笑)
母の闘病を支えて13年
母の闘病が始まったのは、私が18歳のときでした。
いま私は31歳なので、13年、母の体調や気持ちの浮き沈みなども一番そばで見守ってきていることになります。
理想通りにやってあげられないことへ、罪悪感を持つこともありました。
例えば、いつも優しく接してあげたいとか、お小遣いをもう少しあげられたらいいなとか、入院したときは希望通り毎日のように面会に行くとか。
けれど実際は、できません。
自分の仕事や学業などもあり、友達もいます。
親のために生きている人生ではありません。
だけど一緒に暮らしていて、体調を悪くされると、どうしても面倒を見てあげなくちゃいけない。
父も一緒に暮らしていて、私とは仲良く過ごしていましたが、母の看病については、無関心に近い状態でした。これについてはまた改めて書きます。
葛藤と罪悪感
一人娘で、そんな両親の関係もあって、いつも私の脳内は「いつまで続くんだろう」「遊びたい」「でも、私しかいないから仕方がない」でした。
矛盾した、良い思いと悪い思いの両方をいつも持っていました。葛藤ってやつです。
気持ちよく母に接してあげられない、100%の善意で接してあげられない、そんな私は親不孝な娘なんだといつからか思うようになっていきました。
そんな思いを持っているから、何をしてあげても「こんな程度でごめんね」と、自分がやってあげたことに価値を感じられなくなっていきました。
でも、それなのに、「こんなにしてるのに、まだ足りないの?」「なんで、ありがとうって笑って言ってくれないの?」「もう面倒見ようとするのをやめようかな」と、反対の思いもふつふつと常にわいてきます。
そんな思いを持ってしまうことに、また罪悪感(笑)
20代前半のころはそのループでした。
だから、ちょっとどこか根暗っぽい考え方を持ってしまっていた気がします。
でもいろいろな経験をして、経験を重ねていって、すてきな友人や知人との出会いもあって、
親への罪悪感の持ち方や気持ちはだいぶ変わりました。
明るく、軽く、ちょっと楽しんで、この人生を受け入れて、臨めるようになりました。
その方法ややってきたことも、書いていけたらいいなと思います。
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